引き戸とドアの歴史

 こんにちは、君島です。
 今回は、建物の出入口のバリケード、『』について。
 戸の字がいかに重要視されてきたかは、用例から窺われます。
 家の数は、一戸二戸と数える。一軒二軒という言い方もあるが、両者には明らかに差があり、物としての家は軒で数え、家族の生活を含むような場合は戸を使う。その為、戸主とはいっても軒主とはいわない。
戸籍も同じことです。

目次

引き戸とドアの歴史

 どうして日本は引戸になり、欧米、中国はじめ日本を除く世界の大勢はドア形式になったのか。前提として、日本にもドアはあり、外国にも引戸がある。お互いにそういう形式を知らなかったわけではありません。
 ヨーロッパにも引戸があるが、家の出入口ではなく、家の中の部屋と部屋の間の仕切りとして一部使われています。
 日本では、引き戸が中心で、ドアはお城の城内やお屋敷の門など敵や浪士に攻められそうな所に使われていることから、防衛を強く意識した装置である。そんな心配のない所は、引き戸で済まされている。普通の家なら、出入口も引き戸、部屋と外を繋ぐ開口部も引き戸形式の障子やガラス戸や雨戸が使われています。日本人は、適材適所を心得、ドア形式と引き戸形式を使い分けてきました。

 外国の人々は、出入口も窓も、内外を繋ぐ開口部という開口部にドアを使っています。ということは、そこまでしなければいけないほど、心配だらけだったのです
 大陸の国々は異民族との戦争が頻繁にあり、日本の国内戦なら、戦うのは武士だけで、その武士であれ、敗れても指導層が切腹すれば済み、商人や農民は、どちらが勝ってもお上が変わるだけで自分たちには関係ありません。ところが、民族間の戦はそうはいかず、敗ければ、昔は、指導層、市民もろとも残らず滅ぼされるか、奴隷として売り払われました。

仕組みの差

 引き戸がドアに比べ意識的な攻撃に対し弱い理由として、戸の一片をガッチリ金物で固定するドアに比べ、全面的に移動する為、四周の全てに隙間があり、壊されやすい。また、壊すまでもなく、雨戸程度なら外から簡単に外すことが出来ます。

 一方、大陸のドアは、攻撃に耐える装置の為、その取り付け方には世界共通のルールがあります。また、ドアを内側に開きます。外からの侵入に対して、内側に物を置いたり、押したりすることで、防ぎやすいのです。

 ただし、日本のドアは例外です。玄関、洋間、便所も外開きで、内外を繋ぐ出入口のドアは外に向かって開きます。それだけ、平和な時を過ごしてきたのでしょうか。
 現在の日本以外では、ドアという防御装置は内側に開くような設置するものなのであり、外開きの例は皆無に等しいのです。

 今回は、引戸とドアの歴史について取り上げましたが、建物を構成する為に必要なすべての物には、歴史的な根拠が存在し、国によって考え方や使い方が異なります。現在使われているセンスの良いものも歴史を辿ると、意外におしゃれとは程遠い理由が発祥の物がたくさんあるので、調べてみると面白いです。

参考図書:天下無敵の建築学入門

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